代表ご挨拶

日頃より木村石材店をご贔屓くださっているお客様、そして質の高いサービスの提供のためにご協力いただいております取引先の皆様に深く感謝申し上げます。
木村石材店は秋田県の北部 北秋田市(旧合川町)を拠点とし、石材製品の設計・施工・販売とそれに関わるサービスの提供を事業の主としております。
初代 竹治郎の創業より「お墓」「記念碑」をはじめとする石材製品において、お客様の要望に応えるべく技術を高め実績を積み重ねてまいりました。
長年培った経験と知識から高品質の石材製品の提供はもとより、昨今多発する様々な自然災害においても安心できる設計、施工に留意し、従来の石材製品に求められる以上の付加価値の提供を目指しております。
昨今の石材業界を取り巻く環境は大きく変わりつつあります。少子高齢化による地方の過疎化、先祖供養の在り方や、次世代への想いといったものが多様化しつつある中で、より一層満足いただけるサービスの提供を行い、今後も必要とされ続ける存在であるよう尽力してまいります。

代表取締役 木村 信人

事業所概要

名称 木村石材店
代表取締役 木村 信人
住所 〒018-4282 秋田県北秋田市李岱字李岱家ノ下タ48
電話番号 0186-60-4088
FAX番号 0186-84-8087
創業 昭和21年

旧サイトはこちらからご覧ください。

沿革

大正8年

初代 竹治郎が北秋田市(旧森吉町)にて生まれる ※森吉ー現在は森吉山ダムの湖底となる。
昭和5、6年頃 東京都北千住の石材店に弟子入り(森吉から先に弟子入りしていた人を頼りに行ったとされる)。
およそ7年間の修行時代には日本橋にある三菱銀行(当時)の本店建設に関わる石工事に携わる。
また、ある日の現場移動中には2・26事件の混乱も目にしたという。

昭和17〜21年

昭和17年、木村家に婿入。翌18年に招集され戦地へ。
終戦後21年に帰国し、ようやく合川で石屋に集中できるようになる。

秋田に帰ってから初めてお墓を建立したのは森吉町鷲の瀬の親戚のお墓で、森吉の川から最適な石を運び、加工して建立したとされている。
墓工事のみならず、林道の軌道開設のための石積みも行い山中の現場でフイゴをこしらえ、道具の焼き入れをしたり、折れた柄をすげ替えたりしながら作業にあたったと聞く。

昭和30年頃

家の近くの畑に工場を建設。
その当時は、ノミで表面を整えた後、ビシャン、小叩きと道具を変えて加工し、グラインダーをかけてから手で砥石をかけて磨くというような行程で石を作っていた。
その後切削機を導入。

昭和40年代半ば〜50年代前半

冬季間に出稼ぎで行っていた埼玉の石材店でサンドブラストによる文字彫刻の技術を習得し、昭和45年頃にはサンドブラスト設備を導入。現在では一般的な彫刻方法だが、当時としては県内でもほとんど導入実績のなかった技術を先駆けて導入していた。

昭和48、52年頃には自動研磨機を導入。

昭和50年代半ば〜60年代

昭和54年頃にはカートクレーンを導入。
この頃より二代目 信郎が主体となって事業を進めるようになる。

昭和58年、現在の場所に最初の工場を建設。

昭和61年、更に隣接する工場を増設。

平成初期

平成6年、大型の機械設置のため3つ目の工場を増設。

平成8年、サンドブラスト設備を更新。
同年、全自動研磨機「ROBO-1」を導入。人力での加工よりも高精度の研磨を実現。

平成10年代

平成12年、石材設計用CAD導入。
これにより従来の手描きからPC上での製図に転換。製図コストの削減と複雑なデザインも提案可能に。

平成15年、杭打ち機導入。
従来、基礎地盤の強化のために松杭を打ち込んでいたが、経年により腐敗や虫食いによって十分な効果を得られなくなる事があったため、杭打ち機を導入。コンクリート製の杭の打ち込みが可能になり、たとえ軟弱な地盤でも経年劣化の少ない施工が可能になった。

平成25年

D-BOX施工管理検定2級資格取得によりD-BOXの施工が可能に。
杭打ちでも対応できないような軟弱地盤や、交通量の多い道路に隣接している事で振動が多い地盤において有効な施工方法。資格者がいなければ施工できないため、秋田県内でも弊社の他に数社しか施工できる業者がいない。

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